創立以来、学園を巣立った子供たちは450余名に及ぶ、社会福祉法人 白川学園
文字サイズ
HOME
白川学園案内
ひなどり学園案内
広報
アクセス・地図
HOME
>
白川学園案内
> 白川学園沿革小史(明治)
白川学園案内
・学園沿革
・施設紹介
・事業概要
・入所状況
・職員構成
ひなどり学園案内
・学園沿革
・施設紹介
・5つの保育理念
・基本生活時間
・保育グループと担当について
・取り組みの内容
・年間行事
・家庭支援
・子ども発達支援サービス
・他機関との連携
・入園に際して
・職員構成
広報
アクセス・地図
年
月
白川学園関連事項
1875(明治8)
2
29日(陰暦?)、脇田良吉、火口製造を生業とする脇田三助の三男として、京都府加佐郡河守上村字内宮に誕生。
1890(明治23)
3
京都府加佐郡高等小学校第2年課程修了。
8
京都府加佐郡俊明尋常小学校に雇勤務。
1895(明治28)
4
京都府師範学校の小学校教員講習会を修了、小学校教員免許状を受領。
1898(明治31)
3
郷里を離れ、京都市淳風尋常小学校に訓導として赴任。
1900(明治33)
4
同校にて学業不振児童のための補修授業を開始。
1905(明治38)
10
淳風小学校内に「春風倶楽部」と言う教員組織を作り、校内児童に限定せず、発達の遅れや素行不良が見られる児童に補習授業を始める。
1906(明治39)
ー
東京へ赴き、滝乃川学園・家庭学校・東京盲唖学校・養育院・万年尋常小学校・東京高等師範附属小学校・東京女子高等師範附属幼稚園を視察。
1907(明治40)
3
再度、東上。伊澤修二邸内に設けられた「楽石社特殊教育部」、元良勇次郎の東京帝国大学実験心理教室等を拠点として、障害児教育の実践的研究を開始。
1908(明治41)
4
京都府教育会より「成績不良児教育」の調査を委託される。
5
『注意の心理と低能児教育』刊行。
石井亮一・筆子夫妻立会いの下、滝乃川学園聖三一礼拝堂にて、小林彦次郎司祭から洗礼を受ける。
1909(明治42)
3
「成績不良児教育」の調査を終え、京都に戻る。
6
『小学校に於ける成績不良児教育』刊行。
小宮てつと結婚。
7
3日、京都府教育会の附属事業として、白川学園が愛宕群田中村百万遍山内に設立される。入園児童は3名、園長は鈴木光愛(京都府師範学校校長)。良吉は主任教員となって、実質的な運営に当たる。
1911(明治44)
5
『盗癖児百五十日教育』刊行。
1912(明治45)
4
白川学園、良吉の個人経営に移管。
1
2
3
4
5