創立以来、学園を巣立った子供たちは450余名に及ぶ、社会福祉法人 白川学園
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1909年:
学校教育から取り残された子どもたちのため
脇田良吉がキリスト教信仰に基づき「白川学園」を設立。
1945年:
内一角が託児所として整備され後に「鷹ヶ峰保育園」となる。
1948年:
脇田良吉召天。/鷹ヶ峰保育園は正式認可を受け、定員50名となり、
脇田悦三が白川学園と併せて運営に当たる。
1951年:
鷹ヶ峰保育園で試行的に発達に遅れのある幼児を受け入れる。
1954年:
鷹ヶ峰保育園に全国初となる発達に遅れのある幼児のための特別保育級が設けられ、
定員50名の内30名がこれに当てられる。
1955年:
市の全面協力を受け、特別保育級は「ひなどり」として2月22日正式開所に至る。
1960年:
通園施設「ひなどり学園」となり、鷹ヶ峰保育園は廃止される。
1972年:
園舎を全面改築し、「まぶね館」と命名。その名の由来は、イエス=キリストがお生まれのとき、
馬小屋の馬槽(まぶね)に寝かされていたことを思ってである。
1982年:
「卒園児サマー・スクール」を開始。「卒園児夏期保育」の原型に。
1986年:
定員を40名から30名へ変更。
1989年:
「家庭支援サービス」を随時開始し、その枠は「宿泊保育」にまで拡大される。
1996年:
園舎・保育室を増築。
2000年:
礼拝堂「棕櫚の礼拝堂」が完成。
2002年:
コミュニティー施設「春風館(しゅんぷうかん)」 が完成。
2004年:
幼児に限定されない児童福祉施設しての発達支援を目指すべく、
少学童をも対象とした短期入所事業を開始。